EKIKANについて

南海なんば駅の南に伸びる南海電鉄の高架は、昭和13年に完成し、長年にわたって南海電車を支え続け、周囲の土地の記憶が重ねられた、産業遺構ともいえるものです。かつては第1期開発地域の周辺は「船出町」と呼ばれ、なんばの中心から少し離れていることもあり、住宅や工場が中心のエリアでした。

あたらしいつながりへ
人と人とのつながりが新たな
「ミナミ」を創り出す

やがて年月は経ち、高架に隣接する難波再開発区域では、近年「なんばパークス」を皮切りに「Zepp Namba(OSAKA)」「南海なんば第1ビル」などの開発が進み、周辺環境も徐々に変化してまいりました。 平成26年、竣工から約78年を経たこの高架の下で新たな船出が始まり、自由に、独創的に、感性・趣向を同じくする人々が集まる3店舗がオープンしました。店舗同士の交流も含めたイベント等を定期的に開催し、少しずつまちが変わってきています。平成27年には6店舗、平成28年には9店舗へと拡大し、人と人とがつながる新たな商業空間へと進化しつづけます。 昭和初期より、都市と都市とをつないでいる高架は、人と人とをつなぐ新たな役割を担い、なんば駅の南側で新たな「まち」を創造していきます。

それぞれの文字をつなげたロゴビジュアルは、これまでの歴史と未来がつながることを意味し、高架下の立地を「アーチ」として、ロゴに組み込むことで表現しています。「エキナカ」、「エキマエ」ではなく、南海なんば駅と今宮戎駅との間「エキカン」を活性化させ、なんばの街づくりを推進するという意味を込め、本プロジェクトを命名しました。

人と人をつなげる店舗が集う場所は
約78年の時を経た造形が美しい高架下

昭和13年に竣工した鉄道高架を店内で「魅せる」仕掛けとなっています。高架構造は当時の趣が残るコンクリート構造ラーメン高架橋。当時ならではの特徴として、梁の部分が美しいアーチを描いており、高架スラブの表面は木目の質感が転写された型枠の跡等当時の意匠がそのまま残っています。また、長らく倉庫や事務所で使われていたこともあり、産業的な雰囲気を醸し出しています。高架竣工当時独自の造形と歴史が醸し出す雰囲気をそのままに、商業空間へリノベートした建物です。

竣工から78年
新たな歴史を刻みます。

なんばに鉄道の汽笛が初めて響いたのは明治18年、今から約130年前のことです。なんばから大和川を結ぶ大阪堺間鉄道の開通から、鉄道の歴史はスタートしました。 現在の高架が完成したのは昭和13年。南海電鉄の高架は、終戦と戦後復興、大阪球場の誕生と解体、そしてなんばパークスをはじめとする難波再開発など、約78年間の歴史をずっと見つめ続けてきました。そして、なんばと和歌山・高野山を結ぶ鉄道を支え続けてきました。 平成26年、竣工から約78年の時を経た高架は新たな歴史を刻み始めました。

南海線・高野線高架複々線工事
高架橋設計図面(昭和2年頃作成)

開発年表

明治18年

阪堺鉄道(株)(南海電鉄の前身)

難波〜大和川間開通

昭和7年

阪堺鉄道(株)(南海電鉄の前身)南海ビル施工

髙島屋南海店オープン

昭和13年

南海鉄道(株)(南海電鉄の前身)

難波〜天下茶屋間複々線高架竣工

昭和25年

大阪球場竣工

昭和55年

「なんばCITY」全館グランドオープン・

難波駅改造整備建設工事竣工

平成10年

大阪球場解体撤去工事始まる

平成15年

大阪球場跡地に複合商業施設

「なんばパークス」第1期オープン

平成18年

ヤマダ電機「LABI1なんば」オープン

平成19年

「なんばパークス」全館グランドオープン

「なんばこめじるし」オープン

平成21年

難波駅改良工事完成 「なんばガレリア」オープン

平成23年

「なんばCITY」大規模リニューアルオープン

髙島屋増床リニューアル完成 全館グランドオープン

平成24年

難波再開発C街区にライブホール

「Zepp Namba(OSAKA)」オープン

平成25年

難波再開発C街区に「南海なんば第1ビル」竣工、

南海電鉄・大阪府立大学が入居

平成26年

なんばEKIKANプロジェクト 第一期オープン

平成27年

なんばEKIKANプロジェクト 第二期オープン

平成28年

なんばEKIKANプロジェクト 第三期オープン

平成29年

なんばEKIKANプロジェクト 第四期オープン